● 沿革 (池田テニスクラブの変遷)
1. 池田ローンテニスクラブの創設
池田ローンテニスクラブは、故村山長一回生病院院長の尽力で、昭和21年頃、池田市城山町に
2面のテニスクラブとして誕生しました。
故村山長一回生病院院長は、明治33年(1900年)九州佐賀市に生まれ、大正14年(1925年)
九州大学医学部を卒業されました。この年、九州テニス協会を設立、プレイヤーとしても全日本クラス
の活躍でした。
昭和14年(1939年)池田市回生病院長に転任、以降は関西テニス協会長、日本テニス協会顧問
などを歴任され、昭和56年(1981年)81歳で天寿を全うされました。
池田ローンテニスクラブは、「第一回マッカーサー元帥杯都市対抗三競技大会」(昭和22年)で優勝、
その後3連覇を成し遂げました。その頃から、池田市のテニスは全国的に有名になり数々の栄誉を持ち
帰ります。
昭和24年(1949年)、阪急電鉄㈱から城山町に用地を借り本格的にテニスクラブとしての活動を
発展させていきます。
この大会はその後、昭和52年から「全日本都市対抗テニス大会」と名を変え、現在の興隆に至って
います。
2. 池田テニスクラブへの移行
昭和56年(1981年)、村山会長のご逝去に伴い、昭和24年から無償貸借していたクラブコートの返却
が始まり、同時にクラブの名称も「池田テニスクラブ」に変更されました。
返却に伴いクラブコートの確保が問題になり、当時の会員たちが市と交渉、五月山コート(現市民体育館)
で2面をクラブコートとして利用できるようになりました。
この交渉には、顧問の原田憲さんを始め、大島会長、阪田副会長、平野さん、宮川さん、小島さん、
田中さん、伊勢さん等‥本当にたくさんの方々のご尽力で進められました。
3. 夫婦池テニスコートの移転
平成9年(1997年)、池田市で「なみはや国体」卓球の部が開催されるにあたり、体育館の新設が必要
となり、現在の「夫婦池コート」への移転が決まりました。
このときも、クラブコートの確保と使用面数が問題になり、市民感情、テニス人口の減少、他クラブとの
調整など多々の困難を経て現在の運用に至っております。
4. 佐谷杯の誕生
前会長の佐谷睦さん(平成24年1月ご逝去)は平成9年より会長に就任され池田テニスクラブのみならず、
その後は池田市テニス協会の会長も兼務なさるなど、11年間の長きに渡りご指導をいただきました。
佐谷前会長は昭和3年に千葉県佐倉市で生を受け4歳で池田市住吉に移られ、その後大阪大学医学専門
学校に進まれ、ご卒業後は大阪厚生年金病院、大阪府警察病院、市立伊丹市民病院などで勤務されました。
佐谷前会長は、テニス以外にもゴルフ、スキー、囲碁など多くの趣味をお持ちの他、ボランティア活動にも
ご熱心で社会貢献、社会奉仕の精神から、クラブの発展の為、多大のご寄附をいただきました。
今後も、佐谷前会長の社会貢献の精神を受け継ぎ、皆が楽しめるクラブ運営を目指し、4月の大会を佐谷杯
と称し、個人の遺徳を偲ぶ大会とさせていただいています。
● 役員 : R5(2023)年度
会 長 中谷 千昭
事務局 福田 治
会 計 川上 優
理 事 井田 葉一 伊瀬知 勝夫 大上 隆三
木村 裕加子 村上 齊子 大島 昌三
福田 満智子 平田 邦子
会計監査 丸尾 忠 中畑 紀代
顧 問 加山 仁 小島 俊彦 山口 幹夫
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